Bのシェアは、徐々にだが確実に下降していった。
まさに、市場構造の変化がもたらした危機である。
B社内ではそれを「構造的シェアダウン」と呼んでいたが、OにおけるBの店内シェアは15パーセントに過ぎず、50パーセントのシェアを維持するための既存チャネルへの働きかけも功を奏さない。
Oの店舗が増えれば増えるほど、そのエリアのBのシェアは必然的に下がるという流れが実態だったのである。
Cは繁盛店として生き残ることはできるが、構造的シェアダウンをカバーするだけの力はなかった。
メーカーは市場シェアを販売本数で換算するため、Cのタイヤ売上規模では根本的に問題を解決することはできなかったのである。
このような市場環境をふまえ、Bは「量販チェーン店の出店攻勢にメーカーとして対抗できる仕組み」の構築を緊急課題とした。
「量販チェーンと対抗できる店とは何か」「どのような施策が有効なのか」ということを模索していた。
アメリカやヨ-ロッパの視察、多彩な分野からの情報収集といった活動から、私は現状でこの制度の導入と同時に私は第1号のショップディレクターとなり、大阪に赴任した。
当時の大阪は、多くの課題が山積したエリアだった。
全国で200店舗ちかくのCが稼働しているなかで、大阪地区にはC店が2店舗しか出店できていなかった。
それは、Cに対する認知度が低かったからだけではなく、「儲かりそうにない商売だから出店を敬遠する」という大阪独特の地域色が反映されていたからだった。
しかし、「ショップディレクター制度」を導入しただけでは市場は動かない。
大阪での店舗づくりの推進が、私に課された最重要課題であった。
そんな環境のなか、私は1年半という短い期間で24店舗の立ち上げに成功した。
それまで10年経過しても2店舗しか出店できなかった大阪エリアで、なぜこれほどの実績を残せたのか。
それは、周到な準備を行い、他企業のサービスを積極的に活用し破のきっかけをつかむことができた。
それは「リテール=小売り」という概念である。
これをメーカーのなかに導入する重要さに気づいたのだ。
売る仕組みとしてのR&D、メーカー思想としてのリテール。
その概念をベースにいろいろな人の意見も聞きながら、具体的なプロジェクトを進めたのである。
それが、「ショップディレクター制度」の導入であった。
たからにほかならない。
大阪に本社のあるDエ業㈱は、「ロックシステム」というユニークなシステムをもっている。
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